岡三証券 信頼の絆 途切れることない私たちのあゆみ

岡三証券が創業の地・三重で培ったものは、お客さまに寄り添う真摯な姿勢と、決して揺らぐことのない「信頼の絆」でした。
今なお、全ての社員に受け継がれる魂を一世紀に亘る歴史と共に紹介します。
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1923年 4月4日岡三商店創業
「岡」のひと文字に
出資者の恩義を忘れぬ
気持ちを込めた。
岡三証券の前身である岡三商店は、1923年4月に小さな株屋として三重県津市(旧 京口町)の繁華街の片隅に産声をあげました。店主は加藤清治、30才。潤沢な資金力があった訳ではなく、むしろ苦境の中での決意でした。しかし、商売に全てを捧げる「一途な心」。信用を第一義として努力する「誠実さ」。常に革新を図る「智恵」。そして「チャレンジ精神」という、天賦の資質を財産として創業を決意したのです。加藤清治が自分の店の屋号を「岡三」にした事には訳があります。
「岡」の文字は、資金力の乏しかった清治に、開業資金を投資してくれた人物の頭文字。これは出資の恩義を忘れないという気持ちを込めたもの。これもまた、信義と誠実を重んじる岡三証券らしい逸話です。
競争を勝ち抜くために
業界の習慣を打ち破る。
「全員外交」
で新たな顧客開拓を。
老舗の株式店がひしめく津市において、岡三商店が地盤を固めるためには、営業手法の差別化が求められました。その一つとして清治は「全員外交」を発案。すべての社員が自転車を漕ぎながら、お客さまの懐に飛び込む。業界の常識であった“待ちの営業”を打破する知恵と行動力によって、「岡三商店」への信頼は日増しに強くなっていきました。
顧客に誠実に尽くす商いは、
やがて絶大な信用を勝ち取り、
「津に岡三商店あり」
の声とともに
津で一番の株屋に成長を遂げた。
創業した年の9月には関東大震災、3年後の1926年は天皇陛下の崩御、翌1927年には金融恐慌に見舞われました。しかし厳しい環境のもとでも、清治は顧客に誠実に尽くす商いを続けることにより、絶大な信頼を勝ち取る事ができました。順調に業績を拡大すると同時に、店舗網の拡張にも取り組んだ結果、1934年頃には「津に岡三商店あり」の声とともに、津で一番の売り上げを誇る株式店に成長を遂げていました。
旧町名石碑
1931年頃の岡三商店
1944年 8月岡三証券株式会社設立
誠実な姿勢が多くのこころをつかみ、
三重が、ひとつに。
そして
「岡三証券」が誕生する。
1944年、第二次世界大戦が勃発した影響で、証券業の大再編が行われました。三重県内の証券業者は48店から7店にまで整理されることが決められ、三重県有価証券業協会の理事を務めていた加藤清治は、ここで中心的役割を担い、自店の廃業も覚悟の上で再編に奔走しました。その時の誠意ある対応によって、岡三商店が津での存続業者となり、岡三証券株式会社が誕生したのです。
名古屋支店店頭相談
1949年 10月本社を大阪に移転
1956年 10月東京支店を開設 
1956年 10月名古屋支店を開設
三重の「岡三証券」を
「日本の証券会社」に。
果敢なチャレンジで
活動拠点を拡大した。
第二次世界大戦の空襲によって、甚大な被害を受けた津市。岡三証券は戦火に耐え抜き、新たな目標に向かって動き出します。清治が思い描いたのは「岡三証券を日本の証券会社」に成長させることでした。負債を抱えていた大阪の証券会社をまるごと引き請けるなど、果敢な施策にチャレンジすることで、大阪・東京・名古屋へと拠点を広げることに成功したのです。
新築の大阪本社ビル
拡大の最前線である東京支店。
若者たちの挑戦
岡三証券の原点をつくった。
さらなる発展を遂げるための最前線となったのが、東京支店。この重要なミッションを任されたのが、後に二代目社長を務めることになる加藤精一でした。有望な若手社員を引き連れて、調査部や外国部の設置、コンピューターの導入、研修所の設立など、さまざまな改革が行われます。日本を代表する証券会社に求められるものは何か。お客さまにとってよりよいサービスを提供するために何が必要か。若者たちの慧眼と挑戦が、今日における岡三証券の土台を築き上げたのです。
出展:「若さと伝統に生きる」
フジ・インターナショナル・
コンサルタント出版部
名古屋支店店頭相談
新築の大阪本社ビル
出展:「若さと伝統に生きる」
フジ・インターナショナル・コンサルタント出版部
1965年東京に本社を移転 
1968年証券業免許単独取得
独立専業にこだわり
単独での証券業免許取得に成功。
名実ともに
「日本の証券会社」に。
東京へと本社を移転した岡三証券のビジネスは一層の広がりを見せます。そして1968年、証券業に「免許制」が導入されることになりました。厳しい条件が定められた証券業免許を単独で取得することは容易ではなく、多くの証券会社が合併や廃業を余儀なくされました。しかし、岡三証券は独立専業にこだわり、さまざまな改革を成し遂げた結果、単独での免許取得に成功します。これによって、岡三証券は「総合証券会社への道」を歩むこととなります。
岡三証券東京本社
時代のニーズを追い風に
「営業力」「販売力」を磨き、
さらなる成長を遂げる。
「銀行よさようなら、証券よこんにちは」というフレーズが流行して久しい中、証券業は一般の人々にとってより身近な存在になっていきました。岡三証券は、企業としてさらなる強さを獲得するために、企業体質の改善と社員の意識改革、そして、「営業力」「販売力」にさらなる磨きをかける取り組みを進めていきます。お客さまを何よりも大切に考え、ブローカー業務に強みを持つ岡三証券は、時代のニーズに適合し、さらなる成長を遂げていったのです。
姫路支店店頭風景
本店株式部黒板
岡三証券東京本社
姫路支店店頭風景
本店株式部黒板
海外への挑戦。
その決断が、未曽有の危機から
救ってくれた。
「総合証券会社への飛躍」を目指す中で、企業体質の改善、営業・販売力の強化とともに実施されたのが、国際業務の推進でした。1970年代に本格的に海外活動を展開しはじめると、最初の拠点として1974年8月、ロンドンに駐在員事務所を開設。その後、アメリカ・ヨーロッパ・アジアに複数の拠点・支店を構えることになります。海外戦略を担当する社員たちは、短期間で英語を学び、縁もゆかりもない地で挑戦したと言います。海外店舗は順調な売上を記録し、潤沢な内部留保がありましたが、バブル崩壊後の国内不況を受けて、香港とニューヨークを除き撤退の決断が下されました。その結果、証券業に大打撃を与えた困難を打開する上で、大きな力となってくれたのです。
ニューヨーク駐在員事務所
商売の基本、
道理に反することは
やらない。
営業力強化と身の丈経営で、
証券業の荒波を越えてきた。
バブル崩壊後、大手・準大手証券が軒並み業績を悪化させた要因のひとつに、利益を追い、土地や飛ばし※に手を出したことが挙げられます。岡三証券が証券業の荒波を乗り越えることができたのは、商売の基本、道理に反することには一切手を出さなかったからだと言えます。各社が系列のファイナンス会社を通じて不動産投資に走る中でも、岡三証券は「新規公開を目指す有望企業への投資」という本来あるべき姿を貫いてきました。さらに、リテール営業に強みを持っていたことも経営を支える安定的な力になりました。
※会社が保有する金融商品の時価が下落した時に、決算期の異なる他の会社に一時的に売却することで、決算書への損失計上を回避・先送りすること。
大手町支店営業室
ニューヨーク駐在員事務所
大手町支店営業室
めまぐるしく変化する時代。
「情報力」を活かし、
高品質なサービスを届ける。
すべては、お客さまのために。
金融がグローバル化し、めまぐるしく変化し続ける時代。格安な手数料と手軽な取引を提供するネット証券なども登場し、証券業の競争はますます激しくなっています。岡三証券では、準大手の証券会社で初めて、ホールディングス化を成し遂げ、お客さまの新たなニーズを満たすビジネスの展開・拡大を図ってきました。ですが、私たち最大の強みは、あくまで、フェイス・トゥ・フェイスの営業で、高品質なサービスを提供することにあります。そして、その原動力となるのは、卓越した「情報力」に他なりません。アメリカ・ヨーロッパ・アジアなど世界各地にネットワークを構築するほか、室町本店に開設したトレーディングルームの一角に「日本橋室町スタジオ」を設けるなど、より価値のある情報をお客さまに提供するための取り組みを徹底しています。
岡三証券 トレーディングルーム
地方の株式店から、国内有数の総合証券会社へと発展した岡三証券は、日本の証券業において異彩を放つ存在だと言えます。そして、その原動力となったのは、何よりもお客さまからの信頼を重んじ、誠実な姿勢を貫いてきたことです。創業者である加藤清治は、藍綬褒章を受章した際に、こんな言葉を残しました。その言葉は今も、岡三証券の魂として受け継がれています。
誠一筋に生き、
お客さまから
信頼されることだけを
考えて生きてきた。
岡三証券 室町本店
岡三証券 トレーディングルーム
岡三証券 室町本店